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人生の分岐点2【愛媛県に住みたい】

祖父母もいる愛媛県へ移住がしたい!

お菓子の資格も取得して、明確にこういうことがしたい!というものにも出会えた私は、人生の新たな目標が出来て目の前が明るくなったことを覚えています。

ただ単に、土地も畑もあるし愛媛県へ行けば叶えられる!と思った訳ではなくて、他にも移住したい要素は沢山ありました。

まず、周ちゃん広場との出会い。

愛媛県西条市にある周ちゃん広場は、私が結婚する前からありまして

従兄弟の叔母に初めて連れて行ってもらったのが最初でした。

結婚する前は自分で料理をする時なんて仕事へ行く時のお弁当を作るくらいだったので、食材へのこだわりはさほど持っていませんでしたが

子供を産んでから、周ちゃん広場で見るひとつひとつの食材に目が輝くようになりました!!

新鮮な野菜はもちろんのこと、同じきゅうりでも農家さんごとに名前が貼られていて、形の悪いものをどさっと6本くらい入れて150円で売られていたり

トマトだって張りが合って新鮮そのもの、鮮魚も幼い頃から食べていた地エビが山盛りザルに入って500円だし、果物も国産無農薬のブルーベリーが300円くらいで手に入る!

ここで食材を買って、料理をしたらさぞかし楽しいだろうなぁ~!!と思いながらいつもワクワクした気持ちで見ていました。

周ちゃん広場では、加工品も多く売られているので、そこでジャムやシフォンケーキなどを販売している出品者さんを見て、「私もここで出品したい!」という想いが強くなったことも、愛媛県でお菓子を作りたいと思ったきっかけのひとつです。

他の場所ではダメなのか。と夫に言われて、数々の産直市場もまわったことがあります。

それでも自分の中で周ちゃん広場を超える市場に未だ出会えていません。

海も山も堪能できて、身内との交流も出来る。

私が愛媛県へ移住したいと思う理由の中に、海の綺麗さや自然豊かな環境という点、また祖父母や従兄弟、叔母がいるからという点もあります。

どこへ引っ越すのも親戚や身内のそばを選ぶのには、子供に身内との交流を通して、家族の大切さや親のみではなく色々な人からの愛情を受けて育ってほしいから。という思いがあります。それに、私にとっても身内の存在は大きくて、友人や知人とは違った形の愛を感じられる、ホッとできる存在なのです。

今でこそ在宅ワーク中心となっていますが、コロナ前はほとんどワンオペ育児をしていて孤独感も強かったので、余計に身内のそばに住みたいと思っていました。

 

休みの日に、車で数十分でつく海へいって子供達と遊んだり釣りをする。

大きな公園も沢山あるし、登山も出来て、綺麗な川もある。

小さい頃に飽きる程遊んだ市民プールで、子供たちも思い切り遊ばせたい。(なかなかあの規模の市民プールはこっちにはありません)

祖父母と定期的に会いたい。色々な人から愛情を受けて育ってほしい。

畑を通して新鮮な野菜を食べたい。食材を自分で作ることは豊かさに繋がる。

 

これら全てが向こうに住みたい理由です。

人って生きる上で食べることは欠かせないことだから、本当に美味しいものを子供達にも食べさせてあげたかったり、作られた遊び場ばかりではなくて海や川、山の自然も沢山体験させてあげたい。

祖父母は苺農家だったので、今もいくつか畑を持っています。(今は知人に貸していてたまに手伝っているそう)

長男が5歳くらいの時、苺畑に行かせてもらってとれたての苺を沢山収穫、その場で食べさせてもらいました。

とれたての苺はあったかくて、とびきり甘くて。

生きる上での本当の豊かさってこういうことだなぁ、と気付いてからもう何年になるだろう。

夫に100回くらい頼み込む。笑

私が本気で愛媛に住みたいと思ってから、恐らく100回くらいは頼み込んだのではないでしょうか。笑

最初は冗談半分だと思っていたようで、はいはい、と流されることもしばしば。

だけどワンオペ育児が続き、まだ幼い次男を抱っこしながら電車で1時間以上かかる海に一人で連れて行った時も、もっと気軽に海に行けたら。と思っていましたし

もっと子供が小さい頃はパートもしていなかったので、日中話をするのは子供のみ、ママ友は何人かいたので救われた時ももちろんありましたが、近所付き合いも特になく少し寂しさを感じながら生活を送っていました。

テレビで田舎暮らし特集が流れているのを見ては良いなぁ!と気持ちがワクワクするし、愛媛から祖母が段ボールいっぱいに食材や子供達へのおやつ、お米などを送ってくれる度に「帰りたい」という気持ちは大きくなっていって。

徐々に夫へ真剣に話をするようになりました。

でも、元々田舎出身の夫は閉鎖的で刺激のない田舎が苦手だったみたいで、都会へ出てきた人です。

人って無いものねだりなのか、都会暮らしが長かった人は田舎への憧れを持ち、田舎生活が長かった人は都会を求める傾向があるのかしら?笑

夫の場合は学生時代の友人とうまくいってなかったりして、それも田舎を出たい要因としてあったみたいで(実家や両親のことは好き)

だから、夫側の家の敷地内に家を建てないか?という話も100回くらい頂いているのですが(笑)、それもあまり乗り気ではないようです。私としては、田舎暮らし出来るし、身内のそばに住めるから嫁いだ以上OKなんですが…。(完全同居じゃないしね)

 

愛媛県への移住を夫が簡単に快諾しない理由としては

・今の仕事を続けたい。

・今の業種でスキルアップしていきたい。

・子供の将来の教育環境を考えると関東にいたほうが良い。

・自分の両親の話を蹴ってそっちに行ってしまうと良く思われない可能性大。

などなど。。

いつ話をしても常に平行線でした。

夏休みに、1か月くらい愛媛県へ行っても良いから、とか

子供が小さいうちの何年か、別々に暮らすのでも良いよ、とか

冷静に話し合ったり時には泣いたり。。

ああ、結婚すると楽しいことも沢山あるけど自分の思い通りにいかないことも沢山あるんだなぁ!と自己中な考え方に至ったりもしました。

私の場合は、自分の好きなことやしたい暮らし、

どんなことを仕事にしたいのか気付くのが遅かったこともあると思うし、

夫婦間の価値観のズレがあるからいつまでも平行線なんだな。と感じていました。

 

高校時代は愛媛県に住んでいたこともありました

しだいに自分の親からも、愛媛は夏休みに毎年帰ることだってできるじゃない、何も住まなくたって…と言われるようになり

両親どちらも愛媛県の出身なのですが、母は愛媛より関東のほうが好きと言っているし

気持ちを理解してくれる人が、私の周りにはいませんでした^^;

実は、私が高校2年の時に両親は離婚しており、一度母の実家に帰って1年間住んでいたことがあります。

その時まで「家族」と言えば両親、姉妹だけの世界だったのですが

母の実家には、祖父、祖母、従兄弟家族が暮らしていたので

いっきに生活する世界ががらっと変わり、困ったことがあったら祖父や祖母に相談することも出来たし

私の将来を考えて、パソコン教室へ通うことを進めてくれたのも祖父だったり

両親の離婚で心がズタボロ、仲の良かった友人からも離れて暮らし、高校を愛媛県の全日制に通う勇気の出なかった私は今治にある通信制の高校へ通っていたのですが

月に1度か2度のスクーリングで友人がすぐに出来るはずもなく、従兄弟の叔母がよく気にかけてくれて、一緒に出掛けてくれたり、ビーズ教室に一緒に参加したりしてくれました。

母は当時3人を育てあげなければという思いでほとんど仕事で不在だったので、母との思い出は一緒にスーパーへたまに行くくらいしかなくて

父側の祖母とは小さい頃からよく一緒にプールへ行って泳いでいたので、離婚したとは言えこっそり父側の祖母と一緒にプールへ行っていたことも私の中での寂しさを埋めてくれた出来事でした。

そうやって、自分の周りの世界ががらっと変わったこと、両親以外の人が自分のことを気にかけてくれる、従兄弟家族の温かさに触れてから初めて私は「家族」というものの大切さを知りました。

当時祖父母宅に住んでいたことを高校生ながら肩身が狭いと少し思っていたので、

「おばあちゃんおじいちゃん住まわしてくれてどうもありがとう。離婚は寂しい出来事だったけれど、それがきっかけで今があり、家族の大切さを知ることが出来たので無駄な出来事ではありませんでした。」

と手紙を書いて渡したことを今でも覚えています^^;

 

その後、姉が一人暮らしをすることをきっかけに東京へ戻り、後を追うように高校3年生の春から母、私、妹も再び東京での生活に戻りました。

母は葛藤もあったようですが、愛媛県での仕事の給料ではずっと祖父母宅でお世話にならなければ家賃や車代を一人でまかなえなかったこと

私の友人関係のためにも戻ったほうが良い、妹も6年生で転校したため少しいじめに合っていたこともあったようで、戻ることになりました。

その後、友人と一緒に始めたバイト先で今の夫と出会い、3年交際した後に結婚しました。

 

今から移住したら子供たちはどうなる?

良い面悪い面もなんとなく理解した上で移住したい。と思っていましたが

コロナウイルスが流行したことで余計に移住のハードルが高くなったように思います。

神奈川と愛媛では感染者の人数も桁違いなので、もし自分たちが移住したことで、子供たちは学校でいじめに合ったりしないだろうか?(もちろん、愛媛の学校全てでいじめがあるとは思っていません。)

ご近所の方々は、けむたく思わないだろうか?

少なからず祖父母は今の状況で移住することを快く思わないだろう、ということは聞かなくても想像が出来ました。(祖父の調子が少し悪いこともあり、余計に気を付けている)

なので、2年間くらい別々に住むという選択肢でも良いよ、と言ってくれた夫の提案もよし!やろう!と簡単に前向きには考えらなくて

そもそも家族”みんな”で愛媛県での生活を楽しみたかったので、

2年間の別居生活を通して田舎暮らしや畑での経験は私と子供達は得られるかもしれないけど

夏休みも家族みんなで海に出かけることも出来ず

結局祖父母ともこの状況では近くに住めても気軽に会えず

ワンオペ育児には変わらない、それなら家族みんなでこっちにいたほうが良いんじゃないか

と頭の中でぐるぐる考えがまとまらない日々が続きました。