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私が食の大切さに気付いたきっかけ

こんにちは!enmamaです。

今日は私が「食べること」の大切さに気付いたきっかけや今までの経緯についてお話します。

初めての育児でアトピー、乳腺炎との戦い

2011年に長男を出産し、右も左もわからない子育てが始まりました。

無事に出産は終えたものの、生後0~3か月頃になるとまず乳児湿疹に悩まされました。

1日中顔を痒がり、ミトンをしていてもすぐに取れてしまう。顔は引っ掻き傷だらけで、当時の写真を見ても赤く腫れた顔が目立っていました。

当たり前のように小児科で処方されたステロイドやワセリンを使用し、その時期を乗り越えましたが、初めて出会ったステロイドも使っていいものかとても悩みました。

乳児湿疹がある程度落ち着いてきても、関節の部分や首元など汗の溜まりやすい部分を未だに痒がることがありました。小児科で診断された結果はアトピー性皮膚炎でした。

夫が子供の頃、ひどいアトピーだったようで恐らく遺伝なのではないかと思っていましたが、私自身は肌が強いほうだったため辛さや対処法が分からず苦労した覚えがあります。

 

また、赤ちゃん時代に悩んだことの二つ目として、私の乳腺炎があります。

完母で育て上げたのですが、私は乳腺炎になりやすい体質だったようで、お祝いで持ってきて下さったケーキやシュークリームをひとつ食べただけでその夜には40度の熱が出るほど詰まりやすかったです。持ってきてくれた物を断ることも出来ませんでしたし、帰省した時にお餅をたくさん食べたことも。ご厚意だっただけに当時の私は断れませんでした。

我慢して食べたその夜には、決まって母乳が詰まっていました。。

ガッチガチに硬くなってしまった胸を、どう対処していいか分からず…出てくる母乳は黄色くべたべたとしていました。

その時、食べた物がこんなにもすぐに体へ影響として出るんだ、、と衝撃を覚えました。

正に食べる物で体が作られるということを実感したのです。

その母乳はなるべく捨てるようにしていましたが、絞ったら絞るだけ母乳は作られることと、息子もお腹がすくので全く与えないわけにいきません。心なしか乳腺炎の時の母乳を飲ませた後は、息子も肌を痒がることが増えた気もしました。

それからというもの、食事は和食中心を徹底しサラサラの母乳を維持することができましたが、その後離乳食が始まり、母乳以外の物を生まれて間もない子供に食べさせるって責任があるなぁ、と思い、作るものや食材にはとても気を使っていました。

かといって、野菜は全てオーガニックとか、完全無添加にこだわるとかは難しいので(やった時期もありましたが長くは続きませんでした^^;)薄味にすることや、砂糖を白砂糖からてんさい糖に変える、など出来ることを今も続けています。

買い物をする時に、必ず裏面の成分表示を見てから購入するようになったのもこの頃からでした。子育てでアトピーと乳腺炎に出会ったことで、私の「食」に対する意識がガラっと変わりました。

現在も、長男のアトピーは良くなったり悪くなったりを繰り返していますが、赤ちゃん時代に比べたら大分ましになりました!

 

長男2歳の時に製菓衛生師免許を取る

当時息子は保育園に通っており、私はパートをしていました。

自分に何の職が合うのか全く分かっておらず、色々な職を転々としていた時期です。

息子と一緒に休みの日、ピザ作りをしたりするうちに、作ることを仕事にしたらどうだろう?と思い出会った仕事がビーガン向けのハンバーガー店。そこではハンバーガーのパテを大豆から作っていました。そこで一から手作りした物を誰かに食べてもらうってすごく楽しい!!と思い、調理師の専門学校か製菓の専門学校に通うことを決めました。

私は結婚するのが世間より少し早く、大学にも行っていませんでしたし、資格もパソコンの資格くらいで自分に自信が持てるものや、誇れるものが一切ありませんでした。なので、そういう意味でも専門学校に通い自信をつけたかったのだと思います。

調理か製菓か、の2択で考えた時に、今後子供に誕生日のケーキやおやつにパンなど作ってあげられたらいいな、という思いから製菓学校を選択。早朝起きてレポートをしたり、休みの日は主人に息子をお願いして製菓学校へ通う生活が2年間続きました。

息子には寂しい思いをさせてしまったかもしれないけど、いつも学校で作ったパンやお菓子を持ち帰ることを楽しみに待っていてくれました。

その後、勤めていたハンバーガー店が閉店することになったため、もっとお菓子作りを学びたい気持ちから、個人の洋菓子店に直接電話し「雑用でも何でも良いのでお仕事させて下さい!」と頼み込み(笑)、ありがたいことに採用させてもらえました。

こんな素人なのに、ケーキの仕上げやナッペ、飾りつけやクッキー等の焼き菓子やカフェで出すサンドイッチなど本当に様々なことを経験させて頂きました。

個人店ですが、某有名デパートにも出店するようなお店で、そこで直接シェフのお仕事を間近で見れたことも本当に良い学びとなったし、仕事は大変でしたが充実した日々で楽しかったことを覚えています。

後に二人目の妊娠を機に退職し、出産前の8か月のお腹で製菓衛生師試験を受けに行き、無事合格。頑張って良かった!と共に自分の自信に繋がった出来事でした。

 

私の大好きな故郷、愛媛県の豊かな食文化

私が国内で1番好きな場所が愛媛県です。

祖父母が住んでいるため、小さい時は夏休みになる度に遊びに行っていて、大きなプールや透き通った海、川遊びや家族、従兄弟、祖父母との楽しい思い出がたくさんあります。

自分が親になってからも、子供たちに豊かな環境を教えてあげたい、という思いから2年に1度のペースで遊びに行っています。

愛媛県は、水をはじめ魚、果物、と本当に美味しいものが溢れていますね!!子供たちも大好きです。私の祖父母はイチゴ農家でしたので、畑を持っておりイチゴ狩りもさせてもらいました。とれたてのイチゴはとびきり甘くて、太陽のあたたかさを持っていて、とっても美味しいです(^^)

子育てを通して食の大切さに気付いてからは、より一層愛媛県の豊かな食文化に魅力を感じるようになりました。

帰省する度連れて行ってもらうのが、周ちゃん市場と、さいさいきて屋という産直市場です。

私が産直市場が大好きになったきっかけはこの2つが始まりでした。何より、野菜が新鮮なことと、安いこと!!魚も関東では比べ物にならないくらい新鮮で、種類も豊富で、それでいて安い!

こんなに山盛りてんこ盛りが、安く沢山売られてるのです!見ているだけでも楽しい!

産直市場は、生産者の方の名前も見えるし、野菜や魚以外にもお惣菜やお弁当、シフォンケーキなどのスイーツも販売しているんですよ。それに、何だか愛を感じるんです。

スーパーで売られているものとは違う、愛を感じる、、どうしてだろう?名前が書いてあるからなのか、想いが詰まっているのか。それも産直市場が好きな理由のひとつなんだろうな、と思います。

 

周ちゃんには隣接しているカフェに市場で販売していたブルーベリーたっぷりのアイスが味わえたり、さいさいきて屋では地元の食材を使用した食堂もあります。

食の豊かな愛媛県に本気で住みたくなり、一時期主人に移住をお願いしていたこともありました。お弁当やお菓子などを、産直市場で私も販売してみたかったのです。かなり本気で、しつこくお願いしていました(笑)

ですがやはり仕事の関係から現実的に移住は難しいので、ここは一家の大黒柱の意見も聞かないかん、ということで今はおとなしくなりましたが、いつかやってみたいことのひとつです。

 

食べることは生きること

何気なく口にする食べ物で、体は作られています。

みんなで食卓を囲んで楽しく食べる、というだけで心は満たされるものです。(子育て大変な時期は一人でゆっくり食べるのが夢になるけど笑)

実際に一人で食べる食事よりも、誰かと食べる食事のほうが、幸福度や満腹感に繋がることがあると聞いたことがあります。

体にとっても、心にとっても大切な「食」。

私はこれからも、食を通して家族を笑顔にしたり、周りの方のお役に立てたらいいなぁと思っています。

このことに気付かせてくれた、子供たちや今までの仕事、愛媛の環境には感謝しかありません。